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Interbase With a Small 'b'

Harrisonのはるかな回想

 

 InterBaseは、ひどいネットワークに接続されたすばらしく素敵なワークステーションという、Appolo社の事業の一つとして開始された。最初のリリースは、ApolloSunHP/UXVAX/VMSUltrixでサポートされた。他にも私の手を離れていくつかのOSでサポートされていた。そう、「InterBaseは元々からWindows/DOSのシステムだったんじゃないんですか?」という問いに対する答えは「No」なのだ。

 

 Interbase(小文字の’b’が入っている社名としての)はマサチューセッツ州ゴートンにある我が家の使われていなかった寝室で、ゴートン・データベース・システム社としてはじめられた。’gds’という略号とgで始まるユーティリティ(gfixgpregbak)類はすべて、この頃からのものだ。3人の創立者は、それまでDECRdbプロジェクトに参加していた。そのメンバーは当時も今も、Jim Starkey(ソフトウェアの設計及びコードのほとんどを書いた)Don Depalma(ドキュメンテーション他を担当)、そして私、Ann Harrisonだ。私は他所で働いて給料を稼いで、なんとか皆が飢え死にしないようにしていた。1984年当時のことだ。

 

 システムのリレーションとAPIDECのリレーショナル・アーキテクチャーに基づいていた。それは、リレーショナル・データベースの標準としてプログラムからプログラムへと受け継がれている優れた手法だ。それは拡張性があり、SQLQUELDEC風味のリレーショナル言語をサポートしていた。その設計はマルチ・データベース・プログラムを大変シンプルにしていて、分散処理のための良い手法を提供していた。これだけでは、言葉が足りないかもしれない。言い換えれば、どちらにしろ、システムにおけるリレーションはRDB$XXXであるというわけだ。

 

 1986年に、我々は(今では創立者は7名になっていた)アシュトン・テイト社に株式を売却した。アシュトン・テイト社は大企業だったので、我々は信用と資金を手に入れた。そのため、我々は「あんた誰?」という疑問と、さらに人を雇うだけの収益を生み出せるようにするためのマーケティングの人材を雇うに十分な金が無いという2つの障害を乗り越えることが出来た。

 

 しかし悲しいかな、アシュトン・テイト社はInterBaseを本当に愛していたので、より大きくなるデータベース企業に投資することにし、サイベース社にも投資することに決めたのだった。(最悪の日)その時点で、彼らが我々に望んでいることはよりグレートになることだった。dBaseSybaseのように。そしてすべてにおいてそれらより明らかに速く動作することを求めたのだ。エンジニアリング・リソースが枯渇していると言及することが必要だった。

 

 アシュトン・テイト社の見事な経営は、彼等を死のスパイラルに陥れた。その頃、彼らとの契約において、アシュトン・テイト社は丸ごと全部を買い取って、買値で売り戻さなくてはならないと言う両方を定めた条項が削除されたのだ。彼等は買収をしたが、Jimは社長として最後に自分自身を解雇してしまった。その時、辞めたのは彼一人だった(我々は約65人になっていたが)。

 

 それからほんの少し後(1992)になって、ボーランド社がアシュトン・テイト社を買収した。ボーランド社は自家製の技術が必要だと決定したので、社員の約1/3-ほとんどの上級技術者を含んでいた-をスコット・バレーに異動した。サポート関連の上級社員のうち何人かは西部へと異動させられた、そしてほとんどの地方販売事務所はそのままにしておかれた。

 

 ボーランド社が得たものは、大変洗練されたデータベース-ほとんどのUnixを含む、1ダースものプラットフォーム上で稼動する-であった。PCシステムでサポートされているのは、SCO/UnixOS/2だけであった(アシュトン・テイト社が実際に見事な経営を行ったと私は述べたかな?)

 

 国際化はすこぶる原始的なものだった-8ビットのキャラクタを格納した場合、通常の場合それを2バイトへ拡張することは出来なかった。システムはストアド・プロシージャ-をサポートしていなかった-我々は埋め込みSQLやダイナミックSQLの方がストアド・プロシージャーよりも速いと評価していたし、そう感じてもいたためだった-プリ・コンパイルによって増加する時間と最適化によって増加する時間は、最適化とコンパイルのどちらが時代の流れにふさわしいのかを見極めるために時間を費やすほどのものではなかった。

 

 ボーランド社で、ストアド・プロシージャ-に急に光があたったのは速度の点からではなく、主にカプセル化のためであった。私がいいたいことは、私が会社に残ろうと決めた後で多くの良い出来事があったということだ。

 


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