Interview with Mark O'Donohue
2003 / 2 / 17
2004 / 5 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.34 掲載
Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)
翻訳:林 務(株式会社アペックス)

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とMark氏の許可によって翻訳したものです。
 Mark O'Donohue氏はFirebirdSQL Foundationの初代総裁を務められています。FirebirdプロジェクトをHelen Borrie氏と協働して立ち上げるために尽力され、Helen氏と共にその名付け親ともなった方です。Mark氏は、インタビューの中でも語っておられるように、ユーザーとしての立場から、Firebirdの開発を支えておられます。裏方に徹して、開発者のために奔走される氏の働きに敬意を表します
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。




Marina Novikova:  ご自身のことをお聞きしてもよろしいですか。

Mark O'Donohue:  そうですね、全般的に言って、私自身はきわめて平均的な男性だと思います。40歳になりますが、妻がいて子供が3人います。最近、アデレードへ旅行をしてきたのですが、これはその時の写真です。Josie(10歳)、Jacob(7歳)、Fergus(4歳)、それから車を運転しているところです 。(妻の写真がありませんが、彼女はボーランド・カンファレンスに行きたいと言っていたので・・・:-)私は1980年からソフト書きの仕事をしていて、現在はLinux上でのJavaの仕事がメインとなっています。最近私たち(家族のことですが)はフィリップ島へ引っ越しました、私が働いているオーストラリアのメルボルンが一番近い都市なんですが、そこまで2時間くらいかかる所なんです。フィリップ島は素晴らしいところで、次の扉を開ける とその一端をご覧いただけます、とはいっても我が家はちょうど建て替え中なんですけどね。

Marina Novikova:  どんな趣味をお持ちですか?また、音楽はどんなものをお聴きになりますか?読書や映画ではどんなものがお好きですか?

Mark O'Donohue:  趣味から言うと、海で泳ぐこと、サーフィンをちょっとだけ、シュノーケーリング、ブギーボードやボート、島での生活のために欠かせないこと全て、読書やある種の古い車、などなど。 Caption: Adelaideでの結婚式に出席した時のMark、ちょっとビールを飲み過ぎたかな

音楽は、The Buggles, The GadFlys, Ichy & Scratchy, Miles Davis, The Bonzo Dog Doodah Band, Philip Glass, Gondwanaland, (誰かが Radiohead, Joy Divesion, the Clash のことは言ってたね)全てにおいてクリエイティブでちょっと変わったものが好きなんだ。

作家について、SFがとっても好きで、特に未来がどのようにして、どうなっているのかという事について新しいアイデアを持っているものが好きなので、Philip K Dick(大好きですね)、William Gibson, Joe Halderman, Iain M Banks, Brian M Stableford, それから、Stephen J Gould, Ritchard Rhodes 、それだけじゃなくてもっともっと沢山の作家達がいるんだけどね。

Marina Novikova:  ビールはお飲みになりますか?もしそうだったら、お好きな銘柄はなんでしょうか?

Mark O'Donohue:  このあたりの夏ってのはとにかく暑くてまいってしまうので、旨いビールは欠かせないね。最近のお気に入りは、NSWのHahn Premiumで、次に同じくらいお気に入りなのが SA産のCoopers Pale Aleだね。もっとも、昨日は(ここでのこれまでの最高気温44℃だったんだ)冷蔵庫にあるものなら何であれ、ありがたかったね。

Marina Novikova:  今までにもらったプレゼントで、一番ヘンだったものはなんでしょう?

Mark O'Donohue:  ファイルキャビネットなんだけど、妻からもらってね、そいつに何かがあるってわけじゃないんだけど、ただ、誕生日にそんなものをもらうなんて思いもよらないでしょう?

Marina Novikova:  これまでの人生で、最もエキサイトした日、あるいは、もっとも素晴らしいと思った日を覚えていらっしゃいますか。

Mark O'Donohue:  私のメモリはちょっと足りないので、難しい質問ですね。私にとってもっとも素晴らしい瞬間というのは子供達のことがほとんどなんです、子供達が生まれてからね。とてもシンプルなことばかりですが、一緒に自転車に乗ったり、一緒に散歩をしたり、難破船の残骸を見に行ったり、島を一周してみたり、そういったことがとても楽しいんです。[もっとも子供達のことは、また、とっても悪い出来事も多いのですがね、ま、それはまたの機会にお話ししましょう]

Marina Novikova:  どんなことがお嫌いですか。また、周囲の人々がどんなことをするとイライラしますか?

Mark O'Donohue:  私は物事をオープンに正直に行うたちなので、それは周囲の人々や顧客や消費者に対してなんですが、相手にも同じようにしてもらえると嬉しいですね。倫理学はビジネスにはなじまないという人々もいますが、百聞は一見にしかずですが、ある人がどう振る舞うかということは、その人がどういう人かと言うことを雄弁に物語ってくれます。そんなわけで、私は営業関係の人々や、役所の人々や、自己啓発野郎みたいな人たちのために時間を割くことはしないんです。

また、いらいらさせられるのは、作り笑いとか、おべんちゃら、そう、マクドナルドで経験するあれが典型ですがね。(このことで思い出すのは、マイクロソフトの社員や他の各種のカルトのメンバーといくつかの仕事をした時のことですね)

Marina Novikova:  自由になる時間がたくさんあったら、どんなことをしたいと思いますか?:)

Mark O'Donohue:  最近は自由になる時間なんてものはなかなかお目にかかれないんですが、この前は、読書をしましたね、それから私の博士号のための作業をして、その他の趣味の一つについてはさっき話したよね。

Marina Novikova:  あなたにとっての大きな夢というのは何でしょうか?

Mark O'Donohue:  Firebirdに関して言えば、OracleとMSSQLをノックアウトすることかな、パフォーマンス、スケーラビリティ、使い勝手のすべてにおいてね。

もっと現実的な夢と言うことだったら、Firebirdがオープンソースのプロジェクトとして長生きし続けること(出来るだけ長くね)、それから開発者たちが大変な努力を強いられなくても良くなること、かな。

Marina Novikova:  これまでにどんな国に行かれましたか。一番好きな国はどこですか。

Mark O'Donohue:  オーストラリアはくまなく旅行してまわってますね、、それからインドネシア、シンガポール、マレーシア、ニュージーランド、アメリカにも行きました。どこも素晴らしく、それぞれ独自の魅力がありました(マレーシアの食事とかね)。将来においては、中国へ行ってみたいですね、特別の魅力があるんだよねぇ、それから、また、ヨーロッパへもとっても行ってみたいですね、まだ行ったことがないんですよ。旅行はとても好きで、旅行によって新しい経験をするのが好きで、そこで出会う人々がとても好きなのです。でもね、新しいことがとてもいいなと感じるのと同じくらい、家に帰ってくるとやっぱりほっとするよねぇ。

Marina Novikova:  学歴についてお聞きしてもよろしいですか?

Mark O'Donohue:  大学でコンピューター・サイエンスの学位を取りました(途中まではメルボルン大学で、卒業は王立メルボルン工科大学でした)。コンピュータ関係の仕事をいろいろとやりながらだったので、勉強自体はほとんど片手間でした。随分前のことなんですが、私はコンパイラを専門に書いていて、Ada言語定義をパースするためのLR(1)パーサーを書きました(yacc が唯一のLALR(1)になったので仕事は打ち切られましたがね)

長いこと学問から離れていた後、非常勤で戻って、人工知能をやりました、それから歴史と科学哲学、最終的にはバイオテクノロジーで、博士号にたどり着きました(もう十年になりますが、いまだに非常勤です)−今でも私は注意力散漫なんですね。:-)

私が初めてInteBase(それとStarBase)に関わるようになったのは1990年頃でしたが、VAX/VMSとHP-UX上で稼働していました。我々はその時から数年間それをよく使っていました、OracleやVAX/RDBやその他のデータベースと比較してね、そう、それは宝石でした。

私がその会社を辞めてから、しばらく触ってなかったんですが、2000年の3月に博士号のプロジェクトのためにlinux上で稼働するデータベースが必要になったのでまた使い始めたというわけです。

Marina Novikova:  どうしてハイテク領域の仕事をしようと思ったのですか?

Mark O'Donohue:  大学にいた時のことですが、コンピューターと私はやけに馬があったんです。私はとてもラッキーだったので、技術的なことにすぐ飛びついて、(願わくは)現実のプロジェクトの中で現実世界の仕事にうまく適用して見せることができたんだ。私の仕事上の興味は、OOプログラミングに向かわせたんだけど、java、linux、暗号化、もっと最近のものでは、linuxのクラスタリングに行って、そして、またFirebirdに戻ってきたという訳なんだ。:-)

Marina Novikova:  最初に書いたプログラムはどんなものですか?

Mark O'Donohue:  私が最初に「実用的」なプログラムを書いたのは1979年のことです、パスカルでパンチカードに書いたものですが、自動的にキャラクターを演じるというもので、ロールプレイングゲームのためのものでした。SourceForgeのPCGenの統計から、多くの人がまだこうしたものに興味を持っていることがわかりますね。

Marina Novikova:  あなたのお言葉についてお聞きしたいのですが、「Firebird/InterBase/Yaffil へのロシアの影響、この全体的なmis-adventureの中で、重要な部分で競合しているか、ますます競合する可能性が高くなっている」と言われましたが、どういう意味なんでしょうか。

Mark O'Donohue:  mis-adventureについて。

過ぎ去ったことを協調したいわけではありませんが、このことについては真剣に考えています、つまり Firebird/InterBase/Yaffil のことについてですが、これはmis-adventureだと思うのです。あなただって、オープンソースのプロジェクトを始めようとしたら、わざわざ混乱したり愚かなやり方で始めようとはしないでしょう。ありがたいことに、なんとか落ち着いてきたので、2003年から2004年にかけてFirebirdがさらに前進することは間違いないと思っています。

ロシアの影響について。

Firebirdのユーザーとデベロッパーのコミュニティの両方に関して、とても強烈な国際的な代表者が存在します。しかしながら、多くの多国語間のやりとりは英語で行われてきました、そして言葉の問題は人々がコミュニティに参加するための大きな障壁になる可能性があります。幸運にも、プロジェクトが英語力が貧困でも何とかなるということがわかって(私自身の英語力は決して高くはありません)、いろんな言語のニュースリストやWebサイトがあって、それが言語の壁を乗り越える一助になっているんだなと考えています。しかし、私としては人々がFirebirdをその人自身のプロジェクトに使ってくれるように(私がそうしたようにね)なってくれるといいなと思っていて、しかも、そうしたことが彼らが英語のニュースリストに参加していなくても出来るようになっていないといけないと思うんです。そして、そうした人々はどんどん参加したり、Firebirdの将来についての決定を支援する権利を持っているんです。そう、私がそうであるようにね。大勢の人たちからの意見を聞くことはとても嬉しいことです。:-)

ロシア語圏の人々は、実際のところ、Firebirdの将来において大変力を発揮すると思います。いま、ロシアのFirebirdユーザーはすでに大勢いるわけですが、ここ2年くらいに間に、そういう風になってきて、Firebirdの開発者のかなりの部分がロシア人になっています(Yaffilについても同じ事が言えます)。私が言いたかったことは簡単なことなのですが、このことによって、ロシア語圏の人々は、Firebirdを利用したり開発したりすることが楽になっているんだろうなということなんです。

Marina Novikova:  ボーランドが手を引いた後、他の数名の開発者たちとFirebirdチームを結成して、コードを書き続けようと決めましたね。この決断についてどのようなお考えですか。

Mark O'Donohue:  とても多くの人々が頑張っていました、また、多くのものが失われました、InterBase6.0の中止が決定された時期(1999年の12月)とオープンソース製品としてのドアが開かれた時期(2000年の6月、Claudioの年表 を見てね)のことです、結局全てにおいて(全てというのは、その後も引き続いてボーランドにおいて決定されたことも含んでですが)実際に起きたことを通して信用は失墜してしまいました。

ボーランドとISCの取引が失敗に終わった時、沢山の苦悩だけが残りました、不信感と疑惑だけが周囲を漂っているような状況でした。私にとって、純粋にオープンソース・プロジェクトの観点からいって、オープンソース・プロジェクトを立ち上げることは、できれば政治的に中立などこかでというのがいい考えだと思いました。いくらか根回しをした後で、出来る限り多くの人たちとコンタクトを取って、それからHelen Borrieに助けられて、FirebirdプロジェクトをSourceForegeで立ち上げたのです。

個人的に言うと、私がこのプロジェクトに参加したのは、将来のソフトウェア業界でオープンソースが中心的な役割を果たすだろうと思ったからなのですが、90年代初期を通じて大好きになったデータベースのことだったからです(それに加えて、商用製品に対して、十分対抗しうるものでした)。これはチャンスだと思って、一部を担っていこうと思ったのです。

それからは、ほんのちょっとだけ時間を使って、我々がやっていることの全体像をつかもうとしています(このことが少しだけでも素晴らしいことだって事は約束しますよ)他のグループを見渡すと、例えば、学校の周りの親たち、スポーツクラブの人々、カーマニア、切手収集家、チェス指し、キルティング・サークル、等々ですが、純粋に収益を最大化しようと言う観点から見ると、多くのグループは実にセンスがない(もちろん自己啓発野郎を除いてね)。プロフェッショナルの組織でさえも、例えばパイロット、トラック運転手、農民、整備工、どれも製品や仕事に対する誇りについて純粋に関心をもつ傾向があります。誤解があってはいけませんが、対価を得ることは仕事の重要な一面です、しかしそれだけでなく、良い仕事をすることも大事なことです、あなたのまわりの人たちもみんなそうだと思いますが、それから我々のFirebirdの開発に参加して、作品を創り出したり、手を加えていくということも同じように大事なことなんです。

Firebirdプロジェクトでは、自分でこれが緊急だと考えたものをいつでもやってきました。最初は、コーディングから始めました(実際、私の唯一の成果は、10時間かけてlinux上でビルドするためのソースコードをリリースしたことなんですが)。しかし、ほんの些細なもののために毎晩、というか翌朝の5時まで作業を続けていて(現在も開発作業は、同じような状態で続けられているのですが)、もっと楽になるにはどうしたらいいかがわかりませんでした。私はFirebirdにとって最も緊急な仕事は何であるかということについて、安定したビジネス・モデルを作り上げること、より安全な財政的フレームワークを構築することだと感じていました、それがユーザーと開発者の双方のストレスを減じることにつながると思ったのです。今どうなっているでしょうか、たくさんのつまらない管理的仕事ばかりですが、使える時間を全部使ってFirebirdSQL Foundationの設立準備を進めています。

私もコードに戻って、より深刻な問題に取り組みたいと思っています。周りのみんなもよく知っていることだけど(ここから謙遜フィルタ無しね)私自身は素晴らしいアーキテクトでプログラマなんですよ。[Claudioに一度話したことがあるのを覚えています、このくそったれ に6ヶ月もくれれば、Jimの目を見開かせるような仕事をしてみせるよ、とね](さあ、謙遜フィルタを入れ直そう)しかし、私はまだ表面をなぞっているにすぎないと感じています。悲しいかな、私にはその時間がないのです(沢山の管理的な仕事がありすぎて、時間が足りません)しかし嬉しいことに、FFの援助によって可能になったことですが、また、我々が考えもしなかったことですが、他の誰かにそれをしてもらうことが出来るのです。

Marina Novikova:  Firebirdのコミュニティについてお話し頂けますか、あなたからみて2002年のパーソン of the yearはどなたでしょう?

Mark O'Donohue:  今年と言うことでは、Dmitry Yeamanovをノミネートしたいね、次点がNickolay Samofatovかな、それからErik Kunzeだね。開発はハードな仕事だし、時間がかかるので、昨年中は、彼らが我々のFirebirdコア・エンジンのプロジェクトに火をともし続けてくれたね。

もちろん、David Jencks、Roman Rokyytskyy、Blas Rodriguez のみんながJaybird(Firebirdのjava type4 ドライバ)で行ってきた大きな成功と、多くの作業も、賞賛されるべきものだよ。

もちろん、これは大変短いリストなので、大きな貢献をしてくれた人々が沢山抜けてしまっているけどね。

Marina Novikova:  ロシアからの参加者がみんな酔っぱらってしまったら、FBプロジェクトが止まってしまうかもと危惧することはありませんか?

Mark O'Donohue:  ああ、そんなことはもう起きているよ。今後も起きるだろうねぇ(笑)。

Marina Novikova:  Firebirdのソースコードのコメントで、一番おかしなものは何でしょう?

Mark O'Donohue:  お、そいつは意外だね。思い出すのが難しいが、いくつかあったな、あれは、そう、jrd/enc.cppだね。

* "DES will be Totally Insecure within Ten Years," M.E. Hellman,
* IEEE Spectrum, vol. 16, pp. 32-39, July 1979.

あきらかに、コードは80年代初頭のものなんですが。2003年のインターネット環境という違った理由で意味が変わってしまったが、しかしそれも根拠となって、セキュリティ監査を導入することになりました。:-)

Marina Novikova:  Firebirdという名称は、誰がどのようにして考え出したのですか?

Mark O'Donohue:  Ann Harrisonが提案してきたんだ。私が最初に聞いたのは、Helen Borrieからだったんですけどね。実際は、他にも約1,000の候補があって、SourceForgeに登録する時にどれを使うかさっさと決めてしまわないといけなくて、Firebirdは響きが良かったので、Helenと私はそいつでいこうと決めたのです。

Marina Novikova:  Firebirdは最終的には成功すると考えていらっしゃいますか?また、それを成し遂げるために何をしたらよいとお考えですか?

Mark O'Donohue:  成功することね。私は、Firebirdは安定したプロジェクトになると信じています。

Firebirdは現状では、コア・エンジンの開発、テスト、ドキュメント作成に対して対価を支払えるようなビジネスモデルを必要としていて、もちろん製品は無料で提供し続けなくてはならないし、ソースコードはオープンでなくてはならないよね。

単純に言えば、どうやってお金を得るかなんだけど、Firebirdから利益を受けている人々からそれを得て、開発者に還元するようにしたいんです。オープンソースでないプロジェクトでは、営業マンが開発者と利用者の間でこのお金を生み出しているわけです(加えて委託手数料もね)。これを行うにあたって、委託手数料を無しにして、なんとかするというのはオープンソース・プロジェクト全てにとっての聖杯なんだけど、答えはまだ模索中というところだね。沢山のソリューションを試したんだよ、企業のスポンサード、ドキュメントの販売(CDとかTシャツとかマグカップとかもね)、サポート・サービスの販売、Web広告、特別な「エンタープライズ」バージョンの販売、アドオンの販売等々。原則として、より多くのユーザー層があることが、なにしろ製品は無料なので、まあ助けになるわけだ。

完全な答えが出ない間、FirebirdSQL Foundationがその方向を示す第一段階になっています。Foundationは信用メカニズムを提供しています、企業や個人がお互いに相手を信用していない場合でさえも、お金を集めて、Firebirdの開発活動のために配分することが出来ます。Foundationはまだ発展途上ですが、会員たちによって、すでに一定の成功を収めつつあります。

別のやり方で、もしこの問題に対する正しい答えを知っているのであれば、ぜひ教えて下さい。:-)

Marina Novikova:  お好きな食べ物は何でしょう?プログラミングの前とか、最中に、おなかが減った時どんなものを食べますか?

Mark O'Donohue:  おなかが減っている時にプログラミングをした方がいいようです。おなかが減っているということが、プログラミングの生産性を維持し続けるために働いているという、セオリーがあるんですよ。おいしいものを食べて、空腹感がどこかにいって、実際、うたた寝し始めちゃうんですよ(ワインのボトルがあったりすると、もうてきめんなんだけど)(笑)

Marina Novikova:  他のオープンソース・プロジェクトやFirebirdプロジェクトで、実際に、開発上で一番難しい部分というのはなんでしょうか?

Mark O'Donohue:  開発者が支払う代償です。

前にオープンソース・プロジェクトは100人が周りで見ていて、一人か二人の人が実際の仕事をしていると書かれているのを見かけたことがあります。いいソフトウェアを開発して、テストをするということは、とても大変な作業です、また、安定的に関わることが可能な時間が必要なのです。パートタイムでのプログラミングが、ボランティア・ベースで行われる場合、空いている時間によって制限を受けます、そしてそれを捻出するのはとても大変なことです。しかし、プログラミングは中毒性のものなので、Firebirdに関わった人々は例外なく、出来る限りの時間を捻出して作業を進めています、より多くの問題を解決し、よりよいものを作り出すためにはそれが必要なのです。幾人かは幸運にも、彼らの仕事がその作業を支援してくれています、しかし、より多くのコントリビュートをしている人々は、そうした作業によって相当の代償を払っていて、時間を失うと共に収入を得るための機会を失っているのです。作業自体はとても楽しいものかもしれません、でもみんな食っていかなくてはなりません、Firebirdから離れていってしまう人々が出始めました(ありがたいことに一時的ではあったのですが)、なぜかというと支払うものがとても大きいからです、にも関わらず得られるものはほとんどない。コミュニティの側から、我々は誰かが犠牲にならずに、このエネルギーをつなぎ止めるための方策を見つけ出さなくてはならないと感じたのです。

他にもFirebirdが楽しいという側面があります。

Firebirdには、慈悲深い独裁者はいません。

ほとんどのオープンソース・プロジェクトでは、アーキテクチャーの方向性を決定づけ、原則的にプロジェクトを動かしている数人の個人が存在しています。Firebirdにはそうした人はいません、ですので、10名を超える開発者がみんな自分のこととして開発を進めています。

個人的には、Firebirdにはアーキテクトが必要だと思っています、中も外も知り抜いた誰かが、プログラミングに深く関わって、最終的な設計に関する事柄での発言権を持つこと、方向性を決定し、ビジョンを持って、スムーズに、なめらかに、素早く、アーキテクチャー的に一貫性を持った製品として導いてくれるような人が必要なのです。我々は多くの候補者を持っていますが、みんなフルタイムで関わることが出来ない状態です、また、財政的にもプロジェクトはフルタイムのアーキテクトを支援出来ないのです、まだね。

驚くべき事に、リーダーもアーキテクトも無しに、Firebirdはここまでうまくやってきました、多くの前進があり、より組織化されつつあるように見えます。

FirebirdはDelphiで書かれるべきだった

Firebirdは長い間、強力なユーザー・コミュニティを持ってきました、多くの人々は他のボーランド製品への愛情(マゾヒスティックな愛情なんて言われているけどね)を通して、Firebirdを導入しています。もしFirebirdがDelphiで書かれていたのであれば、開発者は飛び込んできたでしょうね(我々の何人かはCを思い出すために、古い教科書を引っ張り出さなくてはなりませんでしたからね)。

Marina Novikova:  あなたはYaffil(またその他の同様のプロジェクト)に対してどのような態度をおとりですか? このような沢山のプロジェクトの立ち上げによって、初心者がデータベース・サーバーを選択することがより困難になるとお考えですか?

Mark O'Donohue:  私は、Yaffilの中にも、我々と同じものが多くあることを理解しています。我々と同様に、彼らも前へ進む道を探っているのです。彼らは、実際にwin32環境でうまいやり方を成し遂げています。彼らが、財政的にプロジェクトを続けていくための方策を必要としていることも理解できます、そして彼らが戻ってきて、我々と一緒にオープンソース・モデルの開発で、財政問題を解決する道を見つけることを望んでいます。

Marina Novikova:  InterBase Worldのコミュニティに一言お願い致します。

Mark O'Donohue:  オープンソースのFirebirdSQLプロジェクトで、みんなが食っていけるようになることを願っています。