Interview with Helen Borrie
2003 / 3 / 3
2003 / 9 / 1 翻訳版 DelphiマガジンVol.30 掲載
Written by Marina Novikova
on InterBase World (URL http://www.interbase-world.com/)
翻訳:林 務(株式会社アペックス)

 本インタビューは、InterBase World のWebサイトでMarina Novikova氏によって公開されたものを、Marina氏とHelen氏の許可によって翻訳したものです。
 Helen Borrie氏はFirebirdSQL FoundationのPublic Officerとして、世界中のFirebirdを愛する人々のまとめ役となっています。また、2000年にFirebirdプロジェクトをMark O'Donofue氏と共に立ち上げられ、今もドキュメント担当Adminとしてプロジェクトの成功のために尽力されています。
 Marina Novikova氏はロシアの企業で英文翻訳とテクニカル・ライターをするかたわら、InterBase Worldの管理者をなさっています。Marina氏はInterBase Worldで、毎週のようにインタビューやレビューを更新されているのですが、このインタビューは、技術的なことやビジネスに関することだけでなく、各ゲストの人となりがよく現れていて、私はいつも楽しみにしています。




Marina Novikova: ヘレン、まずあなた自身について聞かせてください。趣味は何ですか?

Helen Borrie: たくさんあるわねぇ、趣味は。ギターとヴァイオリンを弾くわよ、そんなにうまくはないんだけど、音楽をやることは本当にプライベートな楽しみね、口笛を吹いたり、鼻歌を歌ったりするでしょ、それと同じね。気晴らしに絵を描いたりすることもあるわよ。アウトドアスポーツで好きなのはセーリングね、といっても最近はなかなかヨットに乗る機会がないわねぇ。たくさんモノを書いて、山のように読書をするわよ。やっぱり、Firebirdは私の最優先の趣味になってるわね、1999年の終わり頃からね。

Marina Novikova: どんな音楽をお聴きになりますか。

Helen Borrie: 私はとっても音楽が好きで、いつも聴いているわよ、そう寝ているときでさえもね。  何が好きっていうと、バロックをあげずにはいられないわね、特にバッハとスカルラッティね、ギターへの編曲は特にいいわね。でもね、“もっとも好きなモノ”はもうちょっと現代風のものよ。三本の指に入るのは、Delibesの「"Flower Duet" from Lakmй」、ロドリーゴの「Fantasia para un gentilhombre」、クイーンの「Bohemian Rhapsody」だわね。ジャズも好きよ、それと南アフリカのアカペラ的ボーカルもいいわねぇ。

Marina Novikova: お好きな本(作家)をあげて下さい。

Helen Borrie: これが好きっていうのは、本当にないわねぇ。私はとにかくいいモノを読むのが好きね。いまは、Carl HiassenとLouis de Berniиresの書いたモノなら何でも読んでるわよ。それと、トールキンはいいわね、最初に読んだのは7つの時代について書かれた「ホビット」で、それから好きになったの。息抜きに、Terry PratchettやLarry Nivenを読むんだけど、Barbara Kingsolverの書いたものは大好きよ。試しにウンベルト・エーコを読んだんだけど、彼の書くストーリーを追っていくのは、濃い森を抜けてワームを追うようなものね、それに彼の研究にはびっくりさせられるわね。

Marina Novikova: 料理はどんなものがお好きですか。

Helen Borrie: 特に好きなモノって言うのはないわね。マクドナルドとケンタッキー以外は大体何でも食べるわよ。そのときの気分と誰と一緒に食べるかによるわね。自分としてはスパイシーな料理が好きで、ステーキよりもシーフードの方がいいわね。パスタはあんまり好きじゃないわね、贅沢なデザートも大好きじゃないわね。それと、チョコレートにアレルギーがあるんだけど、ダークチョコのペパーミント・クリームは好物なのよねぇ。

Marina Novikova: 料理をするのはお好きですか?

Helen Borrie: 料理の腕前には自信があるわよ、お客さんになにをお出しするか考えるのは楽しいわね。誰かが私の作った料理を食べてくれるのであれば、私が外で食べてきたような、何か美味しいものを作ろうとすることは楽しいことね。そうじゃないときは、私にとって料理は単なる雑用にすぎないわ。

Marina Novikova: ちょくちょく料理するのは何ですか?

Helen Borrie: 一人暮らしなんで、手際よく料理しちゃうから、そんなにしょっちゅう料理をしなくちゃならないってことはないのね。食事をつくるときは、4回分作って3回分をフリーザーに放り込んでおくのよ。パンはしょっちゅう焼いてるんだけど、なんでかっていうと白パンは食べたくないんだけど、このへんじゃいいホールホィートがなかなか手に入らないのよ。シリアル、サンドイッチ、新鮮な果物がダイエット食の主流ね。わびしいわねぇ、でしょう?

Marina Novikova: マオリ語をご存じですよね。どこで習ったのですか?

Helen Borrie: 私はニュージーランド人なのよ、マオリ語はニュージーランドの二つの公用語のうちの一つで、三年次には教わるようになってるのよ。私がマオリ語を学んだのはオークランド大学で、記述的言語学の共通専攻科目として、私の学位に必要だったのよ。ところが、その言語に私はすっかり夢中になってしまって、いくつかの素晴らしい人類学的言語学の研究に関わるようになって、私のライフワークになってしまったのよ。

Marina Novikova: マオリ語は難しいですか?

Helen Borrie: どんな言語も難しくはないわよ、もしプログラムコードをちゃんと書けるんだったらね。マオリ語はネイティブな英語圏の人々にとっては覚えるのは簡単ね、なぜなら、それは、聞き慣れない子音を持っていないので、簡単にうまく話し始めることができるのよ。世界をひっくり返してしまおうとヨーロッパ人がNZにやってくるまで、マオリ人は、書き言葉を持っていなかったようね。古いマオリ語の文学は保存されていて、口承によって受け継がれてきたのよ。多くのことが19 世紀に書き留められているんだけど、ヴィクトリア朝のお気に召さないところがたくさん削除されてしまったのよ。とっても残念なことね、口承によって伝わってきたものだから、はるか遠い昔の当時の言葉に触れることが出来て、比喩的表現を含んでいて、隠喩があって、小気味のいい駄洒落があり、とっても難解な悪い冗談があったりするのよ。今となってはマオリ語を母国語とする人はほとんどいないんだけど、でも良い話し手は、しゃれや巧妙な比喩を伴ってマオリ語をあやつっているわ。

Marina Novikova: 他にどんな外国語を知っていますか?

Helen Borrie: フランス語とドイツ語を高校と大学で勉強したわね。教室の外でどっちも話したことはないけれど。しばらくの間、イタリア語を教えていたんだけど、Firebirdが始まったんで幕が下ろされちゃったわね。

Marina Novikova: ビールは飲みますか?もし飲むなら、どんなモノがお好きですか?

Helen Borrie: 晩酌はしないタイプなのよ。ビールを飲んでもいいと思うときは、ボートレースを終えたときね。それと、どのビールがいいとかそういうのは気にしないわ、ちゃんと冷えていて数が足りていれば、あとは一杯目を一気に飲み干すってことだけね。

Marina Novikova: 旅行はお好きですか?これまでに外国ではどこへ行かれましたか?

Helen Borrie: 私はニュージーランド人なんで、それだけで「OE(海外経験)」ありってことになるわね。みんなそうなるんだけど、なんでかっていうとニュージーランドは大海の中の3つの小さな島なのよ。もう6年間イギリス連邦に住んでるんだけど、ヨーロッパをとっても小さくしたように見えるわね。カリフォルニアには仕事やカンファレンスで何度も行ってるわよ。「本当」の旅行をする経験っていうのは、まだまだ先になると思うわ。スペインやロシア、中国には「ぜひ」行ってみたいわねぇ。

Marina Novikova: スペインやロシア、中国へ行くとしたら、どこへ一番最初に行ってみたいですか?

Helen Borrie: そのとき次第ね。旅行するんだったら目的がなくっちゃ、観光客になっちゃうと絶対に飽き飽きしちゃうわね。毎日4時間も熱心にギターを練習していたときのことだけど、私の夢はスペインへ行って、ギターメーカーへ行ってみることだったのよ、特に私のギターを製造したメーカーへ行ってみたかったわ。ロシアと中国はどっちもとてもミステリアスね。そのせいで旅行の目的地として興味をもつのね。でも、自分が旅行するならプロジェクトになるようでないとね、本当にそこを研究して訪れて、なにか面白い目的を見つけ出すとか、自分自身の考え方とは全く異なる文化について、見てきたことを本に書くとかね。

Marina Novikova: 人生の中で、もっともエキサイティングだった日とか、最もすばらしい瞬間とかを覚えてらっしゃいますか?

Helen Borrie: 最初の子をこの手に抱いたときは、間違いなくそうだったわよ。よく言われるけど、母親は出産の痛みを忘れてしまうというのは、本当ね。自分自身の子供を抱き上げる経験というのは本当にすばらしいものよ。あらゆることをぶっ飛ばして、絶対に忘れられない瞬間になること請け合いよ。ベルリンの壁が崩壊したっていうのがその次くらいになるかしらね。冷戦の中で育ったから、生きている間にそんなことが起きるとは思いもしなかったわね。でも、起きてしまったら、あっという間だったわ。世界や、希望、人間性について考え方が変わったわねぇ。

Marina Novikova: どんなことが嫌いですか?

Helen Borrie: 家事よ。仕事でやるインタビューも。引っ越し。テレビで演説を見ること。ランニング。歩くんだったらとことんいけるんだけど、走るのは嫌いなのよね。

Marina Novikova: どんなことでイライラしますか。

Helen Borrie: バカみたいなことね、ここオーストラリアの連中みたいに、火のついたタバコを車の窓から投げ捨てて、山火事を起こすとかね。お節介なアドバイス(いつもイラつくわ)。一般的なことだけどひどい騒音、声が大きくて甲高い人達、それからレストランでかかっている音楽が、会話できないほどうるさいこと。スーパーマーケットでふざける子供たちを叱りつけている母親とかね。

Marina Novikova: 大きな夢はありますか?

Helen Borrie: 長い目で見ると――いつの日か隠居して、ボートを買うだけのお金があって、食べていけて、自分の人生について小説を書き上げることができるといいわねぇ。短期間では――私のFirebirdに関するハンドブックを出してくれる出版社を見つけることね。

Marina Novikova: 今の生活について、3語で表現するとどうなりますか?

Helen Borrie: 4語で、「その日暮らし」(Living by the day)かな。

Marina Novikova: フェミニストについてどうお考えですか?

Helen Borrie: 17歳の時に、からかわれたんでブラジャーを燃やしてしまったのよ。いま、あからさまな差別文化の中で生きていて、私の娘たちはそんなこと、しやしないでしょうけどね。そんなに簡単じゃないわよね。私の考えでは、私たちの世界は、いろんな意味での機会が男性の利益に支配されない時代とは、ほど遠い状況にあると思うわ――男たちの偏見や、母親が息子たちに植えつける期待とかね。男女差別を「男のせい」と言うことや、フェミニズムを「女のこと」と呼ぶことは、ばかげてるわよ、物事はそんなに簡単じゃないのよ。男女の機会均等は「社会的な問題」であって、全ての人が共有している社会の発展のプロセスなのよ。残念ながら、私たちはまだそこまで到達していないわ。

Marina Novikova: Firebirdには女性はAnnとあなたと二人だけですか?もし、そうならそれはどうして?ひょっとして、男性たちはとても自分勝手なんじゃなない? (^^;;

Helen Borrie: Annについて話すことは出来ないわね、でも私は何でも男性のエゴで行われているとは考えないわ。パソコンショップが女性に占領されているような状況だったら、そう思うでしょうけど。オーストラリアでは、ITの主流は女性がキャリアを積むにはいいところではないから、どんどんいなくなってしまうわ。女性達はソフトウェア関係の職業に、Annや私がしてきたほど、長くはとどまらない傾向があるのよ。私は、Firebirdのポジションが正しく全体の状況を反映しているんじゃないかと思っているのよ、パソコンショップに女性が押し合いへし合いしている状況というのはないわけだけど、それってたとえば「オープンソースのソフトウェアを使うべきか?」というような重要な決定に参加することとかとは別の話よね。オープンソースが云々というのは、誰の生活にでも関わることじゃないのよ。でもね、だんだんと進歩していることは間違いないわ。オーストラリアのLinux界は最近、女性を代表者として選んだのですからね。

Marina Novikova: あなたはオーストラリアに住んでいるわけなんだけど、他人から、米国に住んでいると思われたことはありませんか?

Helen Borrie: いいえ、それはないわね。でも、私の国(ニュージーランド)がオーストラリアに含まれると思っているアメリカ人にはたくさん会ったわよ。ニュージーランドは3つの島からなっていて、ノース・アイランド、サウス・アイランド、それからスチュワート・アイランドね。私たちニュージーランド人は、オーストラリア人にあんたのところは「ウエスト・アイランド」だといって嫌がらせするのよ。オーストラリア人は、ニュージーランド人に「成功したニュージーランド人が、もしオーストラリアに住んでいるんなら、そいつはオーストラリア人なんだ」と言ってイライラさせるのよ。

Marina Novikova: 学歴をお聞きしてもよろしいですか?また、どうしてハイテク分野で働いていこうと思ったのですか?

Helen Borrie: 私が大学に入ったのは17歳の時で、高校をストレートで卒業してからね。大学では学生新聞(ジャーナリズムね)に参加して、映画を見たり賭け事(500と呼ばれる当時はやっていたカードゲームの達人だったのよ)をしたりしていたわね。勉強していたのは化学、英語、フランス語、ドイツ語、哲学だったんだけど、新聞記者の見習いとして働くために、2年でドロップアウトしたのよ。イギリスで編集見習いとして、新聞記者をやっていた時に、あっという間に妊娠してしまったのよ。何年間か家でお母さんをやってたわ。夫は海軍にいたので、あちこち転々としながら3人の子供をつくったから、みんな変わった発音が身についてしまったわ。一番下の子がまだ赤ん坊だったときに、ニュージーランドに戻ったのよ。それから大学に戻って法律を勉強しようと決めたんだけど、言語学が面白かったので、結局その分野で代わりに学位を取ることにしたの。私は特に、大海の中を航海するための科学や、密かに世代から世代に受け継がれたもの、神聖な聖職者や「tohunga 」による口承伝承にとても興味があったのよ。それが私の修士号論文のテーマで、余裕が出来たらまた続けたいと思っているわ。ITの道に入ったのは変わったきっかけなのよ。私は障害児の親をサポートするグループの活動家だったのね。ちょうど、1979年に「障害児年」ということで、24時間テレビの企画があって、私たちはコンピュータを買うための助成を申し込んだの。そうしたらびっくりしたことに、助成を受けることができて、中古のAppleUを買うことができたのよ。問題は、誰もプログラムを書くことが出来なかったので、しょうがないから自分でApplesoft BasicとTurbo Pascalを勉強してソフトを書き始めたの。私が大学を卒業したときに、IBMの販売店でマニュアルを書くという仕事をしたんだけど、文書に強いということで仕事になったわね。それで、私は子供たちのために親御さんたちが使うためのソフトウェアを書いたってわけよ。そのすぐ後で、コード書きに手を染めて、その時以来データベース・アプリケーションを商売にしてるってことなの。

Marina Novikova: どうして、Firebirdチームで働くことになったんですか?

Helen Borrie: ボーランドがソースコードを公開して、その非公開な「オープンソースプロジェクト」をセットアップした日に、Mark O’Donohueが連絡を取ってきたのよ、彼の名前はInterBaseコミュニティのメーリングリストで知っていたわ。自分たちが何をなすべきかを電話で延々と議論したのよ、その結果が「FirebirdAshes」プロジェクトだったってわけね。(その後、FirebirdAshesはなくなって、Firebirdの下で作業は続けられているわね)でも、私が関わるようになったのは、1999年の12月までさかのぼることになるわ、その時ボーランドがInterBase6を抹殺するというニュースが最初に知られるようになって、IB部門の経営陣が辞職をしたのよ。私の雇い主だったHREF Toolsはその時、いくらかのWebスペースをくれて、私はInterBaseを救うためにWebサイトを運営しはじめたわ。1999年から2000年にかけての休みの間に、何十人もの人たちとメールをやりとりしたわ、かつてのmers.comのメーリングリストも使ったし、個人的なやりとりも多かったわね。Dalton Calfordと私は「Save InterBase」キャンペーンをメーリングリストとしてはじめたわ。ちょうどそのころ、Jason WhartonととってもたくさんのIBOのユーザーも彼らのキャンペーンをはじめたわ。数日後に、私たちはこの二つのグループをIBDIの旗の下にまとめることにしたわ。小さな、個人的なグループはInpriseからInterBase部門を買収するために、協力して事業体を作り上げようと真剣に追求していたわね。そんなことで、7ヶ月にわたる熱気にあふれた活動が始まった(私と、その他大勢の仲間達によって)んだけれど、それはDale Fullerの架空の新会社設立話に対してのものだったわ。私にとって、他のことを何かするような余裕はまったくなかったわ、仕事でさえもね!そんなわけで、私は2000年を「生命の危機の年」と呼ぶことにしたのよ。うーん、でも、結局まだ終わってないのよねぇ。

Marina Novikova: 力になってあげたいなと一番思う人は誰でしょうか?

Helen Borrie: 私たちは、いろんな方法でお互いに助け合っているわよ。Firebirdがプロジェクトとして成立したのは、私たちは、店ざらしにされようとしていた優れたデータベースをなんとかして救おうという人々の大きなグループになったので、米国の株式市場文化に根ざした陰謀や謀略に、意志の力で打ち勝ったのよ。その心臓部が逆境に襲われたとき、InterBase 4、及び、5のユーザーが基盤となって、ものすごい団結力が生み出されたわ。私たちは、その災難に対して情熱をもって、それからそうした情熱にはつきものなんだけど、何かに取り憑かれたようになってそれを乗り越えたのよ。そのなかからたった一人を選び出すことは出来ないし、「彼を、あるいは、彼女を最も助けた」と言うことも出来ないわね、それはその時のみんなに共通の情熱だったし、それがみんなを支えていたのよ。私の個人的見地から、私は、Jason Wharton がいなかったらもたなかっただろうなと思うわね。彼の IBO 製品開発をスタッフとしてサポートするために、ジェイソンは、この3年間の間パートタイムで私を雇用してくれたわ。それに加えて、IBOのオープンな IB/Firebird コミュニティは、ますます盛んになっていくだろうなと思う。ここに至るまで、彼はコミュニティ(Firebirdプロジェクトそのものとは区別して)に影ながらの支援を提供してきたわ、ある程度のインフラストラクチャを継続して維持できるようにね。彼は、InterBase2000サイト(長い間サポート・コミュニティの根拠地だった)のホスティングの支払いをしてきたのよ。私は他の誰よりもよく知っているんだけど、Jasonはどんなにかつらい時期を通じていろんなことを飲み込んで抱え込んできたことでしょう。一度ならず、彼の助けがなかったら、私はきっとあきらめて逃げ出していたに違いないわ。  オープンソースコミュニティは、お互いにみんなで助け合っているので、うまく機能してるわね。私はFirebird の前にも、他のオープンソースプロジェクトに取り組んでたわ。いつでもそうなんだけど、誰かが何かの仕事を仕上げなければならないときには、誰か手伝ってくれる人がいないかと声をかけるのよ。うまく機能していないなと思うこともあるんだけど、何か手伝いたいなって思う人がそうやって声をかけられたときに、その人に合った仕事がもらえないことがあるってことね。ボランティアしようと思っている人は、実際に何らかの仕事をしようと思っているし、たいていの場合、ほとんど何でもする準備ができているのよ、あとはただ誰かがこれをやってねって声をかけるだけなんだけどね。  うれしいことも、悲しいこともあった特別な出来事、そうIBDHのことなんだけど、これは私が2000-2001年に準備した大きな出版計画だったの。私たちはOpen Documentプロジェクトにしようと思ってたわ。見渡す限り適当なライセンスがなかったから、自分でそれを書き上げたのよ。計画では、私は(代作する)寄稿者の全員のために監修をして、一度に一セクションを書いて、お願いをした全部の素材が揃ったの。約13の言語で翻訳チームを編成したんだけど、考え方としては、それぞれのセクションが最終の編集ポイントに達すると、それを担当する翻訳者がとりかかって、それを翻訳していくという手順だったの。最後には、私たちは約1600ページも及ぶ書籍を仕上げて、いくつもの言語で出版する準備が整ったのよ。  私たちは、翻訳者のいくらか大きいチーム、技術的編集者のチーム、それから貢献してくれる執筆者の大きなリストを作り上げたの。そこで問題が発覚したんだけど、オープン・ドキュメントの書籍を出版してくれる出版社は一つもなかったのよ。これは、とっても大きなプロジェクトだったので、 私が必要とする12-15ヶ月の収入なしではやりきれるものではなかったんで、だから出版社との契約は不可欠だったわ。  私は、最終的には2001 年の終わり頃に IBDH ( 原題は「InterBase Developers' Handbook」) をあきらめたのよ。それは、dot.comのブームとともに死んでしまったのよ。とっても気落ちしてしまったわ。

Marina Novikova: FirebirdSQL Foundationにとって何が最も困難ですか?

Helen Borrie:  実際のところ、タイミングが一番厳しかったわね。Markと私は、ここ2年間にわたりしょっちゅう電話で話をしてきてたんだけど、それっていうのは、私たちがいくつかのとても緊急なFirebirdに関する仕事に資金を拠出するための方法についての議論だったの。昨年の8月のことなんだけど、私たちはいつまでも話し合っているだけじゃなくて、実際の行動に移す必要があるって、本当に突然決めたのよ。私たちの二人とも自分たちの仕事に目を向けざるを得なかったので、自分たちがおそらくこの出発にあたって火付け役になるにしても、これより悪い時期はなかったと言うことは出来るでしょうね。でも、どうでもいいことだけど、ビッグバンによって宇宙が作り上げられた事を考えると、まあ先例はあったわけよ。私たちは、FirebirdSQL Foundationをクリスマス以前に立ち上げようと思ったんだけど、ことを正しく運ぶ必要があったわ。その年の終わりの四半期はしっちゃかめっちゃかになっていて、どちらにしても、私のお客さんたちは長い夏休みでいなくなってしまう前に仕事を終わらせてほしいと思っていたの。睡眠不足にさいなまれ、コーヒーとシリアルばっかりで食いつないで、家中のぶっ壊れたコンピュータ部品を踏み越えて、何百もの電子メールを扱って、FFの規約を6回も書き直して、まーったくナンセンスな話よね(そうよ、私たちは本当に6つのバージョンの規約を検討して、ようやっと満足のいくものになったのよ)。Steering Groupとして活動している間、私には重大な発表に関する〆切があったし、注文が多い割に経営が苦しいお客さんが11月に破産しちゃって、1ヶ月分の収入がふいになって、おまけに12月19日には、開けてあるUDPポート経由でトロイの木馬ウィルスが侵入して、私のネットワークを大破させたちゃったのよ 。それでも、はっきりしていたことは、FFは出来るべくして出来たのよ、どうしてかっていうと、私たちはクリスマス前にそれをなんとか立ち上げたんだけど、本当に驚くほどの反応があったんですからね。

Marina Novikova: あなたはドキュメントを書いていたわけだけれど、FFを組織化して、 sourceforge 上にプロジェクトを登録して、その他のことがあって、つまりこういうことなんだけど、まったく不向きな仕事をしているんじゃないかしら。どうして、そんなにFirebirdに入れ込むんですか?

Helen Borrie: FFは出来るべくして出来たのよ。私は、アイデアに基づいてことを運びがちなんだけど、それだけじゃなくて、しなくちゃならないことをするんであれば気にしないのよ。なぜかって? おそらく、それは私のカルヴァン派の教育まで掘り下げないとわからないでしょうね――あなたがこの地上の生において十分に犠牲を払うならば、あなたは天国の雲に座る権利を得る、ということよ。Firebirdに対して夢中になっていることについては――誰が本当にわかっているかしら? 私自身もわからないわ。時折、その質問に答えられないってことにもどかしい思いをしているんだけど、特にその相手が、銀行の支店長さんや、定年退職した販売員さんや、私の兄のような人々だったりするとね。でもね、まあなんとかなってるわ。

Marina Novikova: ドキュメントを書くのはとても大変ですよね、内部で何が起きているのかを理解するだけではなく、それを他人に説明する技術も必要になりますね。何が役に立っていますか?

Helen Borrie: 私はいつでも文筆家で、そして、いつでもテッキーなのよ。人に教えることは血統ね(母親は学校の教師で、父親は航空機の電子機器のインストラクターだったわ)。必然だったと思うのよ、モノを書くことにいくらかの時間を費やしてきたってことはね。

Marina Novikova: Firebirdのコードを書いたり、アーキテクトになりたいんでしょうか?

Helen Borrie: コードを書くのは正解ね、アーキテクトは間違いよ。私にそれは出来ないわ。私は1996年からほとんど純粋にDelphiでプログラミングをしてきて、その前は、ObjectPalだったわ。オブジェクト指向の言語が好きで、構造化言語にそれ以上の興味を感じないのよ。C++でコードを書くことに参加しようとして頑張ってはみたんだけど。「待ってはくれない」他のことをするのにとっても忙しくって、それを始めるための環境をセットアップすることすらおぼつかなかったのよね。それに加えて、私がCをやっていたときからずいぶんと時間が経ってしまっていたし、C++には本当にちょっと手を出しただけだったの。そうなるといいなと思うのは、もっとたくさん時間が経ってしまう前に、私が書きたいと思うコードのカケラを見つけて、雪だるまを作るときみたいに、私の雪玉を転がしはじめたいってことね。

Marina Novikova: お金がたっぷりとあったとしたら、手始めに何に使いたいと思いますか?

Helen Borrie: まず最初に、12ヶ月分の収入を稼ぐ必要をなくしたいわね、そうするとFirebirdの本を自分で書いて出版できるじゃない。次に、熱いシャワーと洗濯機が付いているボートを買って、近くにいい停泊地をもちたいわ。それから、ボートの所有権だけじゃなくて、船体を削って色を塗り替えたりするための維持管理契約をしなくちゃね。

Marina Novikova: 5月にドイツで行われるFirebirdのカンファレンスに何を期待していますか?

Helen Borrie: 異なるアプリケーションインタフェースの開発者がアイデアを交換して――広げるための討論の場になることを見たいわね。、実際、こうした人たちみんな(私がここ3年間やってきたことの、とっても多くの味方たちね)に会いたいと思っているわ。私たちはみんな少しクレイジーだから、みんなでゲラゲラ笑いたいわね。それだけじゃなくて――思いがけないことなんだけど、カンファレンスがうまくいくことで、味方の和がさらに強まると思うのよ。Firebirdカンファレンスがそうなるといいなぁ、と思ってるわ。

Marina Novikova: 他にどんなイベントがあるんでしょうか?

Helen Borrie: うーん、最初の英語によるFirebirdの書籍以外で? Yaffilに分かれていった仲間が、Firebirdプロジェクトの傘の下に再結集するところを見たいわね。私にとって、Yaffilが分かれていったことについて意義を感じたことはないわ。InterBaseとFirebirdの再統一が可能かどうかなんてことについて考えるのは、今となってはもう遅すぎると思っているんだけど、それはもちろん、Borlandがオープンソースについてまったく商業的価値がないと判断したからよね。思い返せば、それが私の尋常でない情熱の証なんだと思うんだけど、InterBaseとFirebirdの再統一が起こってほしいなと思って、個人的にはかなりのエネルギーを費やしたのよ。でも反対に、今年はきっとMicrosoftがBorlandに残されたもの(訳注:InterBase)を奪い取るのを目にすることになるでしょうね、そのために彼らはDale Fullerに2000年からの3年契約をさせたわけだけど、そのことが(Microsoftの株主にとって)正しかったことが示されるでしょうね。他のイベントはどうかしらね? もちろん、つまらないことのように思われかもしれないけど、でも、私たちはFirebird 1.5のリリースに注力していくわよ、それからFirebird 2とそこに至るマイルストーンにね。破滅的な出来事を探し回るよりも、大切なことだと思うわよ。

Marina Novikova: Firebirdを絶対に成功させるためには、何が必要ですか?

Helen Borrie: どんな売上ももたらさないオープンソースのデータベースプロジェクトにおいて、「成功」の基準を見つけることはとても難しいわね。ユーザーのコミュニティが活発で、Firebirdに接続するプロダクトがいつもたくさん開発中だとしたら、Firebirdの成功は証明されたことになるし、もっともっと大きくなるんじゃないかしら。絶対的な基準はどんな形であれ、ないんじゃないかしら。認知度はとても大事で、それが欠けているとしたら問題よ。ユーザーにとって役に立つ書籍も重要だけど、でも、英語ではいまのところ皆無ね。書店で、MySQLやPostgreSQLの本を山のように見かけるけど、どちらもそれぞれの分野で役に立つと思うわよ、でも応用範囲はFirebirdには及ばないわね。オープンソースのデータベース業界は、なにが足りないのかをわかってないのよ。卵が先か鶏が先かということで、Firebirdは英語圏の開発者にはまだあまり知られていないわね、それでも、アメリカのメジャーな出版社が4社もFirebirdの書籍を書かないかって言ってきているわ、誰もそのことにリスクを感じていないわ。はっきりしていることは、最低ラインとして最初の年に月間500冊を保証することね。

Marina Novikova: InterBase Worldのコミュニティに対して、何かこうしてほしいと思うことはありますか?

Helen Borrie: この福音を広めてね、それから、Firebirdを楽しみつづけてほしいわね。